
転載元:神一厘の仕組み・探究道 ~神・世界秩序の始まり~さんより
タオ・コード
~老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力~
以下、千賀一生氏のご著書『タオ・コード』からの抜粋です。
____________________________
人間が持つ限りない欲と、現代社会が抱える諸問題との関係
愛に満たされない心理が生み出すものは、権力欲でもある。他者を自分のものにすることを愛の獲得と錯覚する心理状態に、快感を覚えるのだ。潜在心理はそれを多数の愛の獲得と錯覚する。この偏った愛欲が、権力欲と呼ばれる文明人特有の欲だ。
権力欲が旺盛な人間ほど、愛に満たされない過去の体験を持っているものだ。こうして無数の権力欲と権力欲とがぶつかり、争いが争いを生む。
憎しみ、破壊、争い、孤独、病的心理など、文明社会のありとあらゆる悲劇は、真の愛の欠落という、人にとって中心にあるべき一点が欠落していることによる悲劇だ。欲という欲は、得られない愛の代償として生まれる。真の愛のあるところに欲は生じない。
思えば、現代文明が直面しているあらゆる問題は、すべてこの「欲」をクリアーすれば解決できるものばかりだ。人類が調和団結すれば、難しいはずはない環境問題、戦争、人心荒廃・・・こうした全ての問題はこの異常愛欲から生じている。
嫉妬心や競争心、優越感、あるいは正義感でさえも、その裏には歪んだ愛欲の心理が潜んでいる。文明人の多くの争いは、この病的な正義感が生み出していると言っても過言ではない。誰かを傷つけることでしか幸せを感じられない優越感の心理も、(自身の劣等感から生じている)文明人特有の心理だ。
封印され続けてきた老子の道(タオ)
老子が語ろうとした「道(タオ)」の真の意味は、2500年もの間、封印され続けてきた。老子が語ろうとした「道」の真意は「性」にある。老子にとっての「道」とは、宇宙との一体化を意味し、異性と一時的に一体化する性は、宇宙との一体化を疑似体験させる象徴性をはらんでいるのだ。このように、「道」の真意が誤解され続けてきたために、「性」というものも隠れた世界のものとなり、今まで日の目を見ることなく「人類の聖なる性」は封印され続けてきた。
その間、人類の歴史は大規模に発展し、繁栄したかのようだが、その繁栄の裏で、より本質的なことがいくつも忘れ去られ、かつてなかった不幸を次々と作り上げてきたように思う。様々な思想や宗教が氾濫し、国と国とが自己の存続のために争い合い、調和とはほど遠い状況にある私たち人類は、これから再び人間としての原点に目を向けられる時代に進めるのだろうか。
太古の昔には、人類はどんな民族も、「性」の中に神を認識する普遍世界に身を置いていた。その人類にとっての共通の原点に復帰することこそ、私たち人類が再び一つに調和する道でもあるのではないだろうか。
古代人と性
近代に入るまでの甲府地方をはじめとする日本の各地では、性器をかたどったものを神の象徴とみなし、各家庭で厚く祀られていた。これこそが、寺や神社の歴史よりもはるかに古い縄文以前の石器時代から続く信仰の原点だったのだ。
かつての日本人が、各家庭や最も神聖な場所に性の象徴を置いていたのは、彼らの中に性を卑猥(ひわい)なものと感じる心が微塵もなく、逆にそれを通して、全ての宇宙の中心である「性」そのものを畏敬していたためである。
ところが、近代に入ってから、これらの信仰は野蛮な風俗とみなされて禁止され、数千年どころか数万年にも及ぶであろう貴重な文化の継承は、この瞬間に絶たれ、跡形もなく消え去ることとなった。
このようにして、性の意識が歪めば歪むほど、抑圧されればされるほど、逆にその求引力は強くなる。結果として、人間の欲望は際限なく増大していく。心理学者のフロイトは、すべての人間の衝動の根底には性欲があると言った。つまり、欲望心理の根底には、閉ざされた性意識があるということだ。
(自己中心的なエゴに基づく)歪んだ欲望を膨らませた人々は、人間にとっての真の幸福を求める代わりに、様々な金品を求めることによって欲望を満たそうとする。欲が人を動かし、欲が社会を動かす。しかしその裏では、自然環境の破壊が進み、人と人とが富や権力を求め、互いに争う結果へと至る。
求めても求めても満足することを知らない欲望は、留まることを知らず、歪みはさらに巨大な歪みを生み出す。現代社会の悲劇である。性を卑猥なものと考えない大らかな社会では、人はそれを闇雲に求めなくなるものだ。なぜ現代社会は性や性器を卑猥なものとして貶めるのか。なぜ命あるものにとって最も荘厳(そうごん)なる部分を卑しむのか。
現代の宗教にとって、性に意識を向け続けることは「煩悩」でしかない。だが、太古の時代には、同じそれが神に最も近づく心とみなされていた。性を「堕落への迷い道」とみなす現代の諸宗教と、「神への入り口」として認識する太古の宇宙観との違いである。
悲しくも文明宗教においては、生命にとって最も尊いはずのこの性というものが、最も蔑(さげす)まれる対象と化してしまった。それを語ることはえげつないことだと見なされるほどに、性は蔑まされる存在と成り果てた。
現代人は「性」を退ける一方で、その欲望を膨らませ、その欲望のはけ口としての性文化を生み出した。表の世界では性を遠ざけ、性は裏の巨大な欲望文化として、人々を魔性のごとく誘惑する時代である。
誤解されてきた性の本質
文明人は性を人間の一部だと思っている。これは大きな誤りだ。性が人間の一部なのではなく、むしろ人間が性の一部なのだ。また、文明人は性を生命活動の一部だと思っている。性が生命活動の一部なのではない。生命活動が性の一部にすぎないのだ。
性は生命が作り上げたものではない。生命以前からあるものだ。性を見つめれば人間がわかる。人間の本質は性なのだから。性を極めれば宇宙がわかる。宇宙の本質は性なのだから。
人間は本来、万物と会話できる存在であり、それは、こうした本来の性の次元に復帰した時にのみ実現する、崇高な存在としての人間の姿なのだ。平和をいくら主張したとしても、こうした次元から遠ざかっている限り、その実現は不可能である。
【参考書籍】
タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力
(5次元文庫)
(2009/02/11)
千賀 一生 著
(転載終了)
参考
エックハルト・トール~『ロマンティックな恋愛関係』