国常立大神のメッセージ 【統一(神人合一)、本来の愛を取り戻すために立て直す】~『大宇宙神業』より

転載元:神一厘の仕組み・探究道 ~神・世界秩序の始まり~さんより

国常立大神のメッセージ(1) ~『大宇宙神業』より~
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【光の柱を立てるために降りてきた国常立大神】

そなたは、これより天照大神をはじめ、日本の主要な神々のメッセージを書くことになろう。人々の心を目覚めさせるためには、どうすればよいか。神を信じる人間をどうつくればよいか。これは古今東西、神託者と呼ばれる者が心悩まされてきたことなり。キリスト、仏陀、マホメット・・・かつて過去の偉大なる聖人は、奇跡を起こして神あることを知らせた。

人間というものは愚かであるために、神の顕現を目の当たりにしなければ神を信じぬ。したがって、これからそなたの力によりて、さまざまな奇跡が見せられよう。

太陽や月もその一つである。太陽とそなたは一心同体なり。心に思ったことは、すでに太陽に伝わっておる。天照神界なり。また、神霊治療、病気治しも得意中の得意となるなり。われを呼べば、その人のことを見通せるゆえに呼ぶがよし。「国常立大神の眷属さま、お願いします」でよし。

日本には大昔、神の降り立った場所があり、三十万年ほど前までは神々しいほどの光が降っておった。再び、日本中に神の光を降ろす。光の柱を立てる。日本を光の国、神の国にする。

もともと日本は神国であったが、機械文明、物質文明によって汚れ、結果的に清浄でない国となった。人々の心や想念の乱れ、邪気・妖気がうようよと漂う土地となった。一掃せねばならぬ。

そなたの役割とは、世の立て直しなり。それは、人々の心を神に向かわせるための仕事である。信仰心のある人間をつくらなければならぬ。少なくとも半数以上の者が、神を真剣に信じ、神を祀らう心がなければ、日本は終いに立ち行かぬようになる。真の文明国家とは言えぬ。

神を信じぬ者が、科学を推進してはならぬ。間違いの元となる。正しき神を祈る者が、祀らう者が、文明を発展させなければこの世は成り立たぬ。

【本来の愛を取り戻すために立て直す】

「愛」とは自分(エゴ)を捨てて、他人のために尽くすこと。一言で言えばそういうことになる。なぜ人は自分を捨てて、人のために尽くすことをしなければならないのか。それは「神の本質」だからである。

自分を捨てて他人に尽くすとき、無私となる。我がない。我がないときに、己は空(くう)となる。空なるゆえに、そこにはその者の守護神のエネルギーが溢れてくる。それが、統一(神人合一)である。すべての人が無私の心で人に奉仕するとき、神のエネルギーの流入となり、すべてが調和され、光り輝く世となる。

今までは体主霊従の文明であったため、愛よりエゴ・利己、われよし、という文明の中で、この世が成長を遂げてきたが、これからの世は分かっての通り、霊主体従、それが基本の世となる。神の世となる。

そのためには、この世を一度、終わらせなければならぬ。今までの時代を転換せねばならぬ。大きな痛みと苦しみを伴うものとなる。出口王仁三郎聖師も、そのことを一貫して主張し続けてきたが、やはり国常立の流れであるそなたにも同じことを伝えねばならぬ。

人間に「愛の奉仕をせよ」と言っても、体主霊従で生きてきた者にとっての方向転換は、実に難しい。人間は逆境の中で、苦労の中で、生きるか死ぬかの選択の中で、初めて真我が現われる。哀しいが、そういうことなり。したがって人によっては、生きるか死ぬかの苦しい状況に置かれることもあるであろう。それを通してしか、人間は悟れぬのが哀しいことじゃ。

われはこの国をいま一度立て替えて、「みろくの世」といたす。そして金の世ではなく、心の世としたい。そもそもお金とは、文明社会が発展するにつれて必要なものを調達するために、人間が発明した道具である。本来は、物々交換という形で良かったのであるが、文明社会が複雑になるにつれて、それでは賄いきれなくなった。そこで、より便利に等価交換をするためのシステムとして、お金を用いるようになったのである。

しかし、昨今ではその本来の目的を忘れ、マネーゲームと言われるように、本来のお金の役割を超えて、人は暴利を貪り、搾取し、果てはお金によって人を支配し、お金自体が一つの権力を持つようになった。ここに大きな問題がある。これからの社会はもう一度原点に戻り、お金の価値の本質とあり方を考えねばならぬ。不必要なお金はいらぬ。

人間は食べていけるだけ、ある程度の生活ができればよしという考えに立ち、ある時は物々交換、ある時は無償で物を与え合う、自発的な人間の心の善意を基盤とした社会システム、再びこれに立ち返らなければならぬ。

そのためには今の社会システム、貨幣経済を崩壊させねばならぬ。いま世界中で起きておる経済システムの終焉の予兆。これが引き金となって、人間の貨幣に対する考え方が大きく転換してくる。まさに我が「立て替えの神」と呼ばれておるように、社会を改革・変革してゆくのである。

お金を不必要に多く持つようになると、人間本来の心が失われ、それ自体が目的となってしまう。お金ではなく、誠の心を真の基盤とした社会システム、これに立ち返らなければならぬ。これだけ肥大化してしまった資本主義システムの基盤に立った人間の生活を元に戻すのは至難の業であるが、我はそれを終わらせる。

いま一度、原点に戻ったお金の在り方、社会システムの在り方、心の在り方を人間は考え直さなければならぬ。そのためにも立て替えは必要であり、必然なのである

そのために、神は悪神も使う。悪神もまた、神の成せることである。悪神を通してしか破壊もなし。悪神も破壊の一面を担っておる。哀しいかな、それは事実なり。

人は病気にしろ、逆境にしろ、悪神というものとどう対峙して生きていくのか、そこに魂磨きがある。それを嫌うのではなく、それとどう向き合って魂を磨いてゆくのか、そこに人生の修行というものがある。それに負けてゆく者・・・自我の弱い者、精神力の弱い者が、言わば負けたということになる。人は強くなければならぬ。心をどう強くするか、心と体をどう強くしてゆくか、これからの世の大切な課題である。

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国常立大神のメッセージ(2) ~『大宇宙神業』より~
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【本来の愛を取り戻すために立て直す】

愛にはそれぞれの形がある。親子の愛、友人の愛、恋人の愛、人類愛、夫婦愛、支え合う愛、愛のように見えながら、愛でない愛の形。人間の本当の愛とは何かということが、見えなくなっておる。

例えば、親子の愛について考えてみよう。親子の愛とは、神から預かっている魂を立派に成人させ、その者の人生計画が成就できるよう、神のお役に立てる器をつくるために、長い年月、天塩をかけ育て上げる愛のことである。子への愛において間違いやすいことは、子供を自分の道具のように考え、親の思う形に押し込めて、自分の望む人間をつくりたいという心になり易いことである。

今では親は面倒くさくなると、我が子を殺して自分の自由を得ようとする。もってのほかである。自由のはき違いである。堕胎された子や、命を若くして奪われた子の凄まじいまでの怨念や嘆き、苦しみ、悲しみ、子供を物のように扱う現代の一部の親たち。その者たちの計り知れない苦しみや悲しみ、想像もできないであろう。人間を物としてしか考えぬ哀れな行為。

子とは何か。子とは縁ある両親を選び、十月十日、母親の体に入り成長してこの世に誕生する。この十月十日の間に、親の想念、生活習慣、親の食するものを含め、あらゆる環境より影響を受け、子供は親のDNAを受け継ぎ、己の転生の総決算の集積として生まれてくる。

したがって、十月十日という神聖なる時間は、親の食するものはもちろんのこと、思考・思想・生活習慣の全てにおいて、神の器として育てるという神聖な気持ちで生活をせねばならぬ。その間に暴飲暴食をし、アルコールを飲み、怒りや不調和な思いを欲しいままに行動する親、実に嘆かわしい。

本来、子供は純粋な魂として誕生するが、その子は生まれ出ずるときに、その者のカルマ、先祖の想念など、あらゆるものを同時に背負い生まれ出ずる。

これは、人間にとって重荷と見えるような部分であるが、これがあるからこそ、人は頑張れる。陰陽二極、マイナスを乗り越えてプラスに転ずる。ここに人間の悲しみ、苦しみがあると同時に、魂磨きがある。

子供が誕生して十歳になるまでに大切なこと。その間に子供は何を学ぶべきか。親は何を教えるべきか。一言でいえば、それは「親の愛」である。豊かな愛を注がなければならぬ。この間に、親の愛を受けぬ子供は、心に暗さをつくる。十分に注がれた親の愛を持つ子は、素直で明るい子となるが、この時代に愛を受けぬ子供は、奪おうとする子供となる。与えられていないので奪おうとする。本来、愛とは与えることが本質であるが、この時期に愛情を受けぬ子は、奪うものとなる。

今の社会システム、もう一度考え直さなければ、子は正しく成長できぬ。自己実現やお金のために猛進するのではなく、愛が大切という心に立ち、存分な愛を子供に与えねば、人間として不十分になる。親は、十歳までにしっかりと我が子に愛を注げ。

では、親の役割とはいったい何であろうか。まず母親というのは、十月十日、魂を宿して肉体をつくり、この世に送り出す。まさに神の造化の働きである。神そのものである。母は神の代理なり。

この妊娠・出産という行為、あまく見てはならぬ。神の代理としての働きを成しておる。今の人間、それを忘れておる。神の代理をしている大切な妊娠期間、神に感謝し、神を受け入れ、暴飲暴食を避け、アルコールを飲まず、煙草を吸わず、神の代理としての自覚が必要である。

神を信じぬ現代人は、仕方なきことと言ってしまえばそれまでであるが、無造作すぎる。愚かなことなり。おぞましきことなり。いま一度、神そのものの働き、造化の働きをしていることを認識しなければならぬ。そして出産するその子は、自分の子であって自分の子でなし。神の賜物であることを忘れてはならぬ。

次に父親である。父親は母親と違い、十月十日の魂を宿しはしないが、神の働きとしての先鞭(せんべん)をつける。精子という種を宿させることにより、神の働きの先鞭をつける。

陰陽なり。人間は母一人でも、女一人でも、子供を宿すことはできぬ。父と母、陰陽の造化の働きにより、子が誕生する。この世は二極である。分かりきっておると思うであろうが、二極であることの重要さをいま一度、知らねばならぬ。

つまり、先鞭をつける役割をもつ男がリードし、女がそれに従う。それがこの世の働きなり。今は男女平等といって、女も男を凌いでいくことが立派とされているが、本質的なことで言えば、やはり男が物事を引っ張ってゆくのが、世を治むるにふさわしい。神はそう見ておる。

輪廻転生の中では、男も女も経験する。しかし、その時代に男で生まれてきているということは、やはりその機能を果たしてゆくことが大切である。家庭において、夫婦相和とは言っても、やはり男が仕事で稼いで家族を養うように、それが一般的であろうが。男がリードして家庭を守ってゆく。それが神の目から見ても、理想の夫婦・家庭づくりである。

したがって、家庭において父親は子に、父親と接することの大切さを教えねばならぬ。忙しすぎて子と接せぬ親も多いようであるが、休みのときには必ず子とともに生活をし、男性性エネルギーを子に注ぎ与えることが必要である。



素直な心で神様に感謝の祈りを捧げて下さい。必ずや人の心を取り戻すことができるでしょう。

【森中光王先生のHP】
~宇宙の岩戸開き~

【参考書籍】
大宇宙神業
(2013/09/01)森中 光王 著

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