類を持って引き合い、類を持って集まる/真の知識を知る者にはどのような霊であっても抗することはできない

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転載元:zeraniumのブログさんより

類を持って引き合い、類を持って集まる

   精神病は遺伝すると言われている。
   確かに、その家を調べてみると、ネガティブエネルギーである因縁霊が働いている。つまりこの霊の作用によって、遺伝的に精神を病む者がその家に出るのである。しかしその病状は世代によっていろいろ違い、完全な分裂症状や単なるノイローゼ、精神過敏で止まっていたりする。その違いは本人の性格や体質によって、強く影響を受けたり受けなかったりする。性格と体質がなぜ受ける影響を左右するかと言えば、単に影響を与える霊と本人の霊の波長が合うからに過ぎない。つまりは、ネガティブな影響を受けにくい性格であればよいのである。

   体質は精神に強く影響するが、それが酸性体質の場合はネガティブな影響を受けやすいので、アルカリ性体質にしておくことが重要になる。そしてこの体質を左右するものは食物が重要な因子であるので、アルカリ性食物を摂るようにしなければならない。子供の場合、その性格と体質の原因は親が与えたものが大きい。親が酸性食物を好んで食べていれば、その嗜好は子供にも伝わり、子供もそれを好むようになって酸性体質を作る。また体質はその性格にも大きく影響する。つまり酸性体質の子供は、学習や精神的な面においてもトラブルを抱えやすい。我々は肉体とともに生きており、ゆえにこの肉体がどういう状態であるかによっても、精神的に大きな影響を受けるものである。

   因縁霊があっても怖れることはない。
   因縁霊とは否定的エネルギー存在のことである。まず第一に心の持ち方、第二に食物であり、この2つのことに注意することで、その影響を解消することができる。しかしそれをおろそかにすると、因縁的な遺伝がなくても、自分で精神的に病んでしまうこともある。自分の家に因縁霊がついているのかどうか、という考えを捨てなさい。なぜなら否定的エネルギーである因縁霊が何か悪いことをするというわけではなく、原因は自分の心が発している波長、波動にあり、それに見合ったものが霊であれ人間であれ引き寄せられて来るのである。それを呼び寄せるのは自分なのだから、何かされるのではといった被害者意識を捨てなさい。

   否定的エネルギーの影響を受けないためには、「正しい心」と「同類あい引き合う」霊的エネルギーに対する知識を持つことである。ある宗教団体では、20人の信者を連れてくれば因縁はとれると言う。しかし人を無理に入信させようとすれば憎しみや嫌悪を生み出し、逆にそうした因縁を背負うことになる。否定的エネルギーの因縁霊とは、未だ気づかず学んでいない無知な霊であって悪ではないのだ。ゆえに彼らはこちらの非を教え気づかせてくれる感謝すべき存在でもある。もしこの世に守護霊だけが働いているのであれば、この世はすでに霊界天国であろう。この世界は天国ではないし、そのゆえに我々は学び鍛錬するために、あえてこの第一段階の地球に来ている者である。

動物霊

   ある良家の息子が非行少年となった。
   母親が心配して、その原因は悪い友人のせいだと考えた。そこでM 霊媒によって調査してみると、その息子には7人の友人がおり、その1人1人に子分狐が1匹ずつ憑いていた。しかしその息子には親分狐が憑依しており、当然この少年達の中で最も悪いのはこの息子であったのだ。

   動物霊はみな集団行動をとる。ボスを中心にして、ボスに対する子分の仁義は甚(はなは)だ固く、こうしたところはこの世のやくざの世界やそうした集団と何ら変わるところはない。つまり、この世にあるものは幽界の世界にもすべて存在するのである。そこで子分を徐霊しようとするがなかなか去らない。ボスの命令だからと言い張って、頑としてきかない。そこでボスに焦点を向け、これを説得すると子分はいとも簡単に去って行く。

   ある狐つきと言われている人の布団をめくってみると、動物の毛が残っていたという話があるが、これはあり得ることである。つまり恨みを持って死んだ動物の霊魂が、その人を殺そうとして首を絞めるがなかなかうまくいかない。そこで生きた動物を彼の寝室まで連れて来て、そのエクトプラズムを使って目的を果たそうとするのである。動物でも、特に霊感の強い動物を殺すと、恨みから仕返しをしようとする。しかしよく調べてみると、その背後にあってこれを操作しているのは人間の因縁霊なのである。つまり人間の因縁霊が霊感の強い動物、たとえば狐を選んで当の本人に危害を加え、彼らを利用するのであるが、そこまでやるのだ。

宗教団体には必ず宗教霊が働いている

   宗教団体やそれに付属するそうした修養団体には、必ずある霊の集団が働いている。私はこれを宗教霊と呼ぶが、よくない霊魂だと思えばよい。その宗教が主張するようにそれが立派で良いものであれば、なぜ信者に不幸が起きるのか。それはその宗教霊が、信者である人間とその守護霊との関わりを妨害しており、その繋がりを断ち切っているからである。たとえばその宗教では「我をなくしなさい」と良いことを教えるが、調べてみると、その宗教にまつわっている宗教霊は「我をなくさせないようにする」霊魂であることがわかる。しかし信者はその宗教に囚われているので宗教霊に操作されることになり、結局、信者のやっていることは教えとは反対のことをやってしまうのである。ここに不幸のもとがある。

   宗教団体には良くない霊が働くが、調べるとそれだけではなく、信者の家の因縁霊と共同で働いていることも発見される。宗教霊と因縁霊が協力して宗教団体を維持しているわけであるが、宗教霊はわりに低級霊であるので、それよりも強い因縁霊が宗教霊を使っている
という構図である。このことからわかることは、結局、自分の家の因縁霊に引っ張られてその人は宗教に入れられたということである。しかし因縁は、本人の心の持ち方次第で解消できるので、宗教による何らかの行法の必要はない。

   神社仏閣でお守りをもらってきたのに、泥棒が入った。
   成田さんで交通安全のお守りをもらったのに、その帰りに事故に遭った。なぜそんなことが起きるのかと言えば、人々はお守りには神仏の霊力が働いていると考えるからであるが、それが間違っている。お守りには神仏どころか、単なる霊の力すら働いていることは少ない。かりに何らかの霊の力が働いているとしても、良い霊は働いてはいない。その理由は、今日の宗教は堕落してしまっており、神についても霊についても、正しい知識を持っていないことに原因がある。

   泥棒が入ったり、交通事故に遭うのは、その家の因縁作用による。
   お守りをもらうと、そのお札に頼る弱い気持ちに働きかけて因縁霊が憑く。しかもお札には何の効力もないから、たちまち因縁霊にやられて事故が起きる。こうしたことは心や霊魂の知識の無知から引き起こされる災厄である。お守りをもらい、護摩を焚いてもらったりすると、時により、その宗教の宗教霊が憑くことがある。しかし因縁霊には沢山の眷属(けんぞく)がおりしかも宗教霊よりも強いことから、両者の闘争の結果、因縁霊が勝ち、どちらにしてもやはり災厄が起こる。

   不幸がある場合、その背後では善霊と悪霊の闘い、悪霊と悪霊の闘い、そして悪霊と悪霊の協力があって行なわれている。つまりお札に頼る気持ちがあると、因縁霊が影響を与えやすく、何らかの宗教霊を引き寄せたりしてさまざまな災厄の原因をつくる。だからさまざまな宗教というものの弊害に目覚めることが重要であり、他力に傾く自分の心の反省に立脚することである。これが幸福への道であり、霊魂の研究の示す大道である。

   自分の心の波長、波動によって、霊は働くものであることを知った以上、もはや怖れるものはない。お札があろうがなかろうが、またかりにどのような獰猛な霊が働いていようがいまいが、真の知識を知るものにはどのような霊であっても抗することはできない。


book 『スピリチュアルな生き方原典』
 脇 長生(講述) 桑原啓善(筆録)
 でくのぼう出版

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