
(あなたもETとコンタクトできる! 宇宙人遭遇への扉、完全オープン!!
フラッシュする光や白い稲妻などアダムズ山で初めてUFO現象に遭遇した!
2007年、音響エンジニアの仕事を本格的に始めるために、東京に転居しました。バンドのライブ活動、アルバム制作、アメリカの専門雑誌のための取材など充実した日々を過ごしました。その一方で、学生時代から興味を抱いていた宇宙人や闇の権力、古代の謎などについて、ネットで情報を集めました。
ある日、インターネットでアーカイブされたラジオ番組を見つけました。この番組は、私が小学校4年生のときに、偶然に一度だけ耳にして、とても印象的な内容だったために記憶に残っていたものです。
このラジオ番組により、UFOのメッカであるアダムズ山のジェームズ・ギリランド氏の存在を知りました。山のふもとにあるギリランド氏の牧場では、毎晩のようにUFOが活動しているという話は、そのとき私の頭の中にインプットされたのです。
2ヶ月後、オレゴン州のポートランドで友人の結婚式がありました。アダムズ山へは車で2時間弱の距離です。結婚式の翌日、レンタカーを借り、世界的に有名な新コンタクティ、ジェームズ・ギリランド氏の自宅兼宿泊施設(ECETI 地球外知的生命体との覚睡的コンタクトを行っている場所)を目指しました。
ギリランド氏は不在でしたが、若いスタッフがいて「夜が更ける前に山を見ると、何か光るはずです」と教えてくれました。アダムズ山は富士山と同じくらいの標高の雪山です。私たちが眺めていると、彼の説明通り、山から光が放たれました。車道などない雪山ですから、人為的なものではありません。
世が更けると、星が動いているような光が見えました。2つの星が違うベクトルにゆっくりと動いて消えていきました。揺らぎのある美しい光で、明らかにコントロールされているような動きです。3時間のうちに、流れていく光、白い稲妻、流れ星とは比べ物にならないぐらい急スピードで動きフラッシュする光など、数多くの現象に遭遇しました。スタッフによると、宇宙人が彼らのデジタルカメラにメッセージを残すこともあるそうです。
翌日には日本へ帰らなくてはいけなかった私は、名残惜しい気持ちでアダムズ山を後にしました。翌朝、レンタカーでシアトル空港へ向かっていると、真っ青な空にケムトレイルが一本浮かんでいることに気づきました。ケムトレイルとは、化学物質を含む人工的な飛行機雲のことです。それまでこうした現象を目にしたことがあるにに、まったく意識してこなかったのです。
アダムズ山での体験が私の意識をすっかり変えてしまいました。大きな生命エネルギーを受け取り、体も浄化されたせいか、3ヶ月以上アルコールを口にしませんでした。細胞レベルで影響を受けたのです。
これまで得た知識に実体験が伴うことで、私は宇宙人やUFOの存在を「信じている」から「知っている」へと、1つの境界線を越えたのです。
再び日本へ戻り、JCETI設立へ
アメリカで職を得て、落ち着いた暮らしを始めようとしていたのですが、「この道をこのまま進むと、大事なものを失うことになる」というメッセージを受け取り始めました。
宇宙人は私の眠りを妨げ、外の空気を吸いに出るとUFOが現れます。「日本に戻ればコンタクトできる場所も多く、興味深い体験ができる「これまでの体験はアメリカではなく日本で役立つ」といった声が届き、日本に再び住むというシナリオは変更できないものとなりました。当時の仕事の取引先のほとんどが軍事産業のメーカーでした。UFOディスクロージャーに賛成する立場の私にとっては、反対側の岸に渡ることになり、とても続けることはできなかったのです。
私はCSETIの会員になり、教材を購入しました。それは研究グループをまとめるための、CE-5のマニュアルでした。これを読んでいると、次から次へと閃が浮かんできました。
さらに私はレーザーポインターやCSETIの研究書類も入手し、持てる限りの荷物を手にして、雪の降りしきる中、空港のあるニューヨークへ向かいました。この頃からJCETIのビジョンが少しづつクリアになってきていたのです。
文化の壁を乗り越え、JCETI発足
福岡に「キャプテン・シュガー」という老人がいて、外国人向けの安価なアパートを貸したり、ホームステイのサポートをしていました。彼は元JALのパイロットで現役時代には、フライト中によくUFOを目撃したそうです。キャプテン・シュガーとの出会いも必然で、私は福岡に小さな部屋を借り、JCETIの活動を始めることになりました。
日本に戻り3ヶ月もしないうちに、国際ジャーナリストの中丸薫さん、「9・11の真実を求める日本の科学者の会」を設立した長崎大学の戸田清教授にインタビューする機会が与えられました。そして、田村珠芳 さんにもお会いし、共著『あなたの前に宇宙人が現れます!』(ヒカルランド)の出版へとつながっていきました。
JCETIの初イベントも開催しました。7月、ようやく梅雨が明け、スイッチが入ったように夏空が広がり、入道雲が浮かんだ日です。この翌日は私の33歳の誕生日でした。33はマジックナンバーで、大きな宇宙的意味があります。
イベントの場所は福岡市の西部にある毘沙門山。CE-5の機材を準備し、深夜までワークしました。徐々に流れ星型宇宙船が現れ、深夜3時には、近くの空でピカッ、ピカッとフラッシュが始まり、参加者にとっては涙を流すくらい衝撃的な現象が起こりました。さらに緑の矢が矢のように斜め上空に上がり、参加者全員がお互いの意思の伝達を感じ、1点に集中しました。意識の速度は光より速いということを体感した瞬間です。
JCETIの活動は、単にCSETIの活動や報告を日本語に訳しているわけではなく、日本人により伝わりやすいように工夫しています。欧米と日本ではバックグラウンドも異なり、コミュニケーションのスタイルも大きな違いがあります。JCETIでは、機械的な翻訳ではなく、体験に基づいた活動方針を作成しています。
これまでさまざまな人と出会い、世代、性別、国籍、文化の違いを乗り越えて、直感の部分で伝わる体験を重ねてきました。日本各地を巡り、そこで出会った人々の話に耳を傾けてエネルギーをもらい、またそれを次の人に伝えていくという活動を今後も続けていきたいと考えています。
CSETI
http://www.cseti.org/
JCETI
日本地球外知的生命体センター
http://jceti.org/
参照
VIDEO Contactee predicts UFO behavior caught on three cameras
VIDEO ECETI Highlights ~ Contact Is Happening Now
VIDEO JCETI 2012 Slideshow